キャプティブの歴史と私(前編)

フォーサイトグループCEOの浜田健一郎です。

いつも弊グループをご愛顧いただき、また本ニュースレターをご愛読いただき誠にありがとうございます。今月号と次回のニュースレターでは、これまでの国内外におけるキャプティブ保険会社の歴史について私や弊グループが関わってきた観点からまとめた内容をお届け致します。


キャプティブ保険会社は現在新たな発展段階に入っている。温故知新の観点で、過去70年間のキャプティブ保険会社の歴史を振り返ってみたい。併せて筆者自身が1975年に日系損害保険会社に入社し2000年に独立、現在の弊グループを形成するまで、どのようにキャプティブ保険会社の仕事に関わってきたかもご紹介したい。

現在弊グループは日本でリスクコンサルティング会社を運営し、ハワイ、シンガポール、ミクロネシア連邦の3国にキャプティブマネジメント会社を持ちサービスを提供している。またその他の地域(バミューダ、ラブアン)のキャプティブにも関与している。

その中で、自社資金の有効活用を目指す企業が、保険会社の保険に頼ることなく、リスクマネジメントの観点でキャプティブ保険会社の「適正リスク保有機能」に注目していることを、ひしひしと感じる。


1. Mr.Frederick M. Reiss「キャプティブの偉大な父」

1953年、キャプティブの「偉大な父」と呼ばれたFrederic M. Reiss(1924–1993)がオハイオ州の鉄鋼会社のためにSteel Insurance Company of Americaというキャプティブ保険会社を設立した。現在のキャプティブ保険会社の原型は1900年ごろからあったようだが、この会社が本格的な最初のキャプティブ保険会社と言われている。「キャプティブ」という用語は、鉱石を自社工場に送るCaptive mines(キャプティブ鉱山=自社所有の鉱山)に因んで生まれた。

1958年、Reiss氏はバミューダで最初のキャプティブマネジメント会社のAmerican Risk Management社を設立した。同社の名前はその後ARMIRM (International Risk Management) ⇒ IRMG (International Risk Management Group)と変化した。同社の成功のカギは以下の3点にある。

  • バミューダのキャプティブ・マネジメント会社は、フロンティング、マネジメント、ガバナンス、再保険およびブローカー・サービスの機能を提供した。
  • 財物のロス管理はキャプティブ内で行い、Factory Mutual社のロス管理基準を使い、最大予測可能損害額の見積りを行った。
  • キャプティブのための再保険キャパシティとして、プーリング組織を作った。

筆者は2002~2004年の間、IRMG Japanの日本の代表を務めた。IRMG はロンドンに本社があり、リスクマネジメントとキャプティブマネジメントの専門家集団であった。ロンドン本社の社長からは、創始者のReiss氏の話をよく聞かされた。

Reiss氏はもともとハーバード大学でエンジニアリングを専攻したエンジニアであり、機械工学的側面から工場の防災管理を専門としていた。エンジニアなのでリスク量の把握は得意であった。

金融畑、保険畑に偏った人がリスク量を把握せず、リスクヘッジの観点やストラクチャード・ファイナンスの観点でキャプティブを仕組むとどこかでリスクヘッジの連鎖がとぎれる恐れもあるが、キャプティブの父がエンジニアであったということは、「リスク量を把握して保有できるリスクを保有する」というキャプティブの本来あるべき姿から言うと当然でありまた幸いであった。

またReiss氏は、バミューダの発展に貢献するのみならず、バミューダ以外のオフショア・ドミサイルに対してキャプティブ保険法に関する助言を行った。

2. キャプティブ設立地としてのバミューダの発展

Reiss氏の活躍もあり、1960年代にはバミューダがキャプティブ保険会社のドミサイル(domicile=設立地)として発展を遂げ、押しも押されもせぬ地位を築いた。

1969年にバミューダ通貨当局(BMA)が設立され、キャプティブのあらゆる届出を審査し、不完全な申請を拒否することによってドミサイルの評判を確立した。

筆者がバミューダを初めて訪れたのは1984年の5月であった。当時日系保険会社に勤務していたが、日本企業がキャプティブを設立を始めていたので、当時キャプティブのメッカと言われていたバミューダにキャプティブの調査を目的に出張した。キャプティブは保険会社にとってやっかいな存在で、「敵情視察」であった。

キャプティブの監督官庁であるBMAの役人が、半ズボン(バミューダパンツ)で現れたのには驚いたが、それ以上に多数の欧米企業がキャプティブをバミューダに設立していることに驚きを覚えた。

1984年当時日本企業のキャプティブは数えるばかりであった。グローバル競争の観点でキャプティブを活用する海外企業とキャプティブに抵抗をもつ日本企業では、勝負のベースが違うと感じた。 その後筆者は、1990~1993年に日系保険会社のNY駐在員となり、バミューダにも出張の機会があった。米国企業がどのようにバミューダキャプティブを活用しているか、IRSがどのようにバミューダをみているか、また米国の州内キャプティブの発展等を目の当たりにすることとなった。

3. CICA

1972年、米国でキャプティブ保険会社協会(CICA)が結成された。CICAはキャプティブ保険会社の団体で、当初は12〜15社程度の大規模な単一親会社キャプティブだけが加盟した。現在では加盟キャプティブも増え活発に活動を行っている。

筆者が所属するフォーサイトグループは米国のCICAとも連絡をとっている。現在CICAの加盟は米国社に限られているが、CICAが米国外に加盟社の範囲を広げる可能性もある。

4. 日本企業のキャプティブ

日本企業の最初のキャプティブは、1973年三光汽船がバミューダに設立したものと言われている。これに続き1974年には、別の船会社が同じくバミューダに2番目のキャプティブを設立した。

日本のキャプティブは最初に船会社が設立したわけだが、当時の外航船舶の船舶保険料は日本船舶保険連盟が一律に決めており、保険料の柔軟性がなかったことに起因すると思われる。保険会社が引き受けられないとか、条件が厳しすぎるとか、保険料が高すぎるとか、企業がキャプティブを設立する動機は今も変わらない。

1975年には、日本の電気機器メーカーがバミューダで日系企業3番目のキャプティブを設立した。このようにして始まった日系企業のキャプティブは、2020年末で145社を数えるまでに発展してきた。

5.キャプティブの発展(1975〜1999年)

1975年

米国電力会社のグループ・キャプティブであるAssociated Electric& Gas Insurance Services Limited (AEGIS) が相互会社として設立された。同グループ・キャプティブは最も成功した例の一つで、現在エネルギー業界で300社を超える企業に対して証券を発行しており、2015年時点での引受保険料は15億ドルを超えている。

この年に筆者は日系保険会社に就職した。22歳であった。海外勤務を希望しており、先輩に「どこの部署が海外勤務のチャンスがありますか」と尋ねたら、マリン部門と言われた。マリン? 海上保険のことと知った。希望通り貨物海上保険部門に配属され、会社員生活をスタートした。

1976年

ハーバード大学の医療センターのキャプティブであるCRICOケイマンに設立された。当時キャプティブといえばバミューダだったので、ハーバード大学はバミューダでの設立を目指した。しかしながら医師賠償リスクは、賠償意識の高い米国では損害率が高いリスクとみなされており、バミューダ金融当局(BMA)はこのキャプティブの安全性に責任が持てないとして、設立に難色を示した。その結果、ハーバード大学はキャプティブをケイマンに設立した。

このことは、米国に拠点を置くヘルスケア団体にとって、ケイマンがヘルスケア・キャプティブの最大のオフショア・ドミサイルとなる契機となった。ケイマンはその後キャプティブ設立地として発展を遂げ、現在では、バミューダに次ぐ第2位のキャプティブ設立地となっている。(巻末資料2「世界のドミサイル別キャプティブ数」参照)

ケイマンがキャプティブ設立地として発展したきっかけは、バミューダが病院のキャプティブに難色を示したことであった。その意味では、今後もあらたなキャプティブドミサイルが発展することも期待できる。

日本本土で、キャプティブ設立ができるような可能性も考えられる。

1981年

バーモント州がキャプティブ法を可決した。その後、キャプティブの数、成長力および影響力において、全米オンショアキャプティブドミサイルとしてナンバーワンのドミサイルとなった。同州では1986年から88年にかけて約150社のキャプティブが認可を取得し、現在では585社程度のキャプティブがある。

1983年

マン島でキャプティブ法が制定され、水道会社、British Gas、British Telephoneなど、政府所有の事業体のキャプティブのオフショア・ドミサイルとして注目された。

1984年

金融立国を目指すルクセンブルグでキャプティブ法が制定され、ヨーロッパで最初のオンショア・ドミサイルとなった。同国の主な利点は、課税所得を繰り延べできる平衡準備金(Equalisation reserves)を無期限に積むことができる点であった。  具体的には、税前利益を全部、平衡準備金として積み損金化できるものであった。キャプティブが大損害にあっても営業を継続できるように、税前利益を準備金にして大損害に備えるという意図であった。この準備金を積むと税前利益がなくなる(課税対象所得がなくなる)ので、ルクセンブルクの法人税は30%を超えていたが、法人税はゼロとなることになる。


Sinser

筆者は2000年に日系保険会社を退職し、Sinser Japanの代表となった。Sinserは、北欧スェーデンの金融グループであるSkandiaグループが設立したキャプティブマネジメント会社であった。Skandiaは北欧で保険会社を経営していたが、1980年代、欧米ブローカーがSkandia保険会社の北欧の契約者にキャプティブ設立を持ちかけてきた。これに対応するために、SkandiaSkandia Insurance

Service(Sinser)を設立し顧客のキャプティブ設立に協力しそのマネジメントを行った。Sinserは、2000年当時ルクセンブルクで60社程度のキャプティブをマネジメントしており、2000年にSinser入りした私は、Sinserルクセンブルクでキャプティブの薫陶を受けた。保険サービスとは、Skandiaグループにとって顧客のキャプティブに協力し、北欧の産業の発展に貢献することであった。


1985〜86年

賠償責任保険のキャパシティ不足に応えるため、バミューダにグループ・キャプティブとしてACEおよびXL (エクセル) が設立された。XLは5,000万ドルから1億ドルの間のレイヤーの賠償責任リスクを引き受け、ACEは1億ドルを超える1億ドルのレイヤーを引き受けていた。両社とも3年後には株式が公開されて商業保険会社となった。 これを機会に、バミューダは、CAT市場が発展することとなる。現在では、バミューダは、「キャプティブ設立地」「再保険市場」「CAT市場」の三点セットがそろう市場となり、欧米のリスクマネージャーや保険会社が使う市場となっている。

1986年

米国でタックスヘイブン対策税制(CFCルール)の定義を変更する税制改革法(TRA)が施行され、今までオフショア・キャプティブが享受していた税制上のほとんどすべての利点が取り除かれた。

日本でも、2020年までに合算課税に関する規定が整備され、キャプティブにとって実質的に税メリットはなくなった。これは、キャプティブを節税目的でなく、リスクマネジメントに使うという意味で歓迎すべきことである。

米国中西部の農場の相互保険制度を支援するために、収入保険料が120万ドル未満(現在は240万ドル以下)の保険会社の保険引受利益に対する免税措置を規定した税制831(b)条項が制定され、その後マイクロ・キャプティブ(831(b)キャプティブ)の設立が増加した。

日本では、2010年代にマイクロキャプティブ831(b)が知られるところとなったが、すでにこのころから、米国で831(b)は存在していた。

1987年

ハワイ州でキャプティブ法が可決された。ハワイは現在、日系キャプティブが47社あり日系企業キャプティブが最も多いドミサイルである。ハワイ全体で231社あるので、その20%は日系キャプティブで占められている。

日系初のハワイキャプティブは1992年に設立された。このキャプティブのマネージャーがBeecher & Carlson(ビーチャー&カールソン=BC)であった。

筆者は1992年にロサンゼルスのBC本社を訪問した。ここで、現在のフォーサイトグループのアイデアを得ることができた。BCの手順は、まず (1) 企業の損害データを入手・分析し、それに基づき、損害削減提案を行う。次に (2) 企業の財務データからPML(予想最大損害額)と適正保有を算出。その後 (3) 保険とキャプティブの組み合わせを提案する、というものであった。

1989年

Humana社の税務訴訟において、親会社の保険料に対しては損金控除が認められないものの、キャプティブと「ブラザー・シスター関係」にある子会社の保険料については控除が認められることとなった。

1994年

ヨーロッパのオンショア・ドミサイルとして、低課税国であったアイルランドでキャプティブが設立され始めた。

1997年

ガーンジーで保険長官Mr. Steve Butterworthによって最初の保護セル法が制定された。レンタキャプティブ自体はずっと以前から存在していたが、それらのセルは契約または私法によって分離されていただけであったが、保護セル法の下でそれらのセルは法令によって保護されるようになった。2000年にはバミューダも同様の法律を制定した。

2000年当時Sinser の上司がガーンジーにいたため、筆者は何度もガーンジーに出張した。保険長官のButterworth氏とも面談し、PCC(保護セル会社)の説明をうけ、日本の客にPCCを売り込んでくれと依頼された。Steveとは日本でも面談し、PCCの使い方について意見交換するとともに、PCCが日本の税制でどのように扱われるかについて説明した。

1998年

ケイマンでキャットボンドが認可されてから、多くのオフショア・ドミサイルでは特別目的会社(SPV)の設立が促進された。

6.その1の結び

1953年に初の本格的キャプティブ保険会社が設立され、1960年には100社程度だった世界のキャプティブは、2018年時点で6300社を超えるまでに発展した。日系キャプティブも1973年に最初のキャプティブが設立され、2020年末で145社にまで増えた。

キャプティブドミサイルも1960年ごろはバミューダのみだったのが、60年経過した2020年末で66地域に増えた。毎年一地域以上のドミサイルが新たに生まれていることになる。キャプティブのニーズがある証左であろう。


次回は2000年から現在までのキャプティブの発展についてレポートします。(つづく)


資料1:世界のキャプティブ数および保険料の推移

年度キャプティブ数キャプティブの推定保険料情報ソース
1960年代100以上CICD
1980年1,250 CICD
1982年1,400CICD
1983年1,60070億ドルCICD
1984年1,95065億ドルCICD
1986年2,20070億ドルCICD
1987年2,68085億ドルCICD
1988年2,80090億ドルCICD
1989年2,80090億ドルCICD
1990年2,98595億ドルCICD
1991年3,066100億ドルCICD
1992年3,150110億ドルCICD
1994年3,225140億ドルCICD
1997年3,800180億ドルCICD
1998年3,417180億ドルCICD
1999年3,624213億ドルBI
2001年4,300380億ドルSwiss Re
2002年4,526AMBD
2003年4,515BI
2005年4,881BI
2006年4,936CICD
2007年5,120BI
2009年5,525BI
2010年5,617600億ドルBI、Swiss Re
2011年5,745BI
2012年6,125BI
2013年6,560BI
2015年6,939BI
2016年6,618Captive Review
2017年6,7001,100億ドルBI
2018年6,337BI
CICD = Captive Insurance Company Directory
BI = Business Insurance
AMBD = A.M. Best Directory
(出典、ソース:Captive.com “The History of Captives”)

資料2:世界のドミサイル別キャプティブ数

順位ドミサイル全企業数日系企業数日系企業割合
1バミューダ715263.6%
2ケイマン諸島61810.2%
3バーモント州58550.9%
4ユタ州4350
5デラウェア州3660
6バルバドス2940
7ノースカロライナ州2350
8ハワイ州2314720.3%
9ガーンジー19994.5%
10ルクセンブルグ19521.0%
11サウスカロライナ州1790
12ネバダ州1740
13ネービス1470
14テネシー州14010.7%
15アンギラ1290
16アリゾナ州12810.8%
17モンタナ州1230
18コロンビア特区1040
19マン島10243.9%
20シンガポール7379.6%
21ダブリン6911.4%
21タークス&カイコス諸島690
23ケンタッキー州640
24英領バージン諸島590
25ミズーリ州520
25ジョージア州520
27ラブアン501326.0%
28ニューヨーク州49 *10
29アラバマ州480
30テキサス州450
31スウェーデン390
32セントルシア340
33スイス27 *1311.1%
34ミクロネシア連邦2424100.0%
35ミシガン州240
36ニュージャージー州210
37ブリティッシュコロンビア州200
38バハマ諸島180
38プエルトリコ180
40コネチカット州170
41サウスダコタ州160
42オクラホマ州110
42ジブラルタル110
44デンマーク100
44マルタ10 *2110.0%
46ニュージーランド9 *10
46アーカンソー州90
48リヒテンシュタイン80
49キャラソー70
49コロラド州7 *20
51オハイオ州60
51ドイツ60
51ノルウェー6 *20
51バヌアツ60
55オーストラリア5 *20
55パナマ5 *10
55米領バージン諸島50
58イリノイ州40
58香港40
58ネブラスカ州40
61グアム30
61ジャージー島30
61メーン州30
64ドバイ2 *20
64モーリシャス20
66カンザス州10
合計6,1341452.4%
*1 ドミサイルのウェブサイトより; *2 Business Insurance誌の推定。全企業数は2019年末時点(Business Insurance誌による)、日系企業数は2020年末時点(フォーサイトグループ調べ)。