キャプティブの歴史と私(後編)

いつも本ニュースレターをご愛読いただきありがとうございます。フォーサイトグループCEOの浜田健一郎です。本号では「キャプティブの歴史と私」その後半をお届け致します。


前号では、1950年ごろから本格的に始まったキャプティブ保険会社の歴史を振り返った。キャプティブは現在世界全体で、2019年末時点で6,134社と推定されている。

キャプティブドミサイル(設立地)のキャプティブ数ベスト3である、バミューダ(715社)、ケイマン(618社)、米国バーモント州(585社)の発展の歴史も1900年代の後半であり、その歴史は比較的新しい。世界のドミサイル別キャプティブ数を末尾に掲載した。全企業と日系企業に分けてキャプティブ数を推定したものである。

本号では、前号に引き続き2000年から現在に至るまでの「キャプティブの歴史と私に」ついてレポートする。


1.沖縄県名護市でキャプティブ保険会社設立可能とするための活動

2002年から2003年にかけて、筆者は沖縄県の名護市を金融特区として、キャプティブ保険会社が設立できるようにする活動に取り組んだ。名護市市長から委嘱を受け「金融特区調査コンソーシアム」のメンバーとして活動した。

日系企業は、それまでにバミューダ他のドミサイルにキャプティブを設立していた。日本国内でキャプティブができるようにすれば、日系企業はわざわざ海外にキャプティブを作らなくてもよく、海外企業が活用しているキャプティブをもっと身近に活用できる、との思いであった。また、キャプティブ産業が沖縄県にできれば、沖縄県の経済活性化や雇用促進につながる効果も期待できた。

課題として、保険業法におけるキャプティブの位置づけを確認、キャプティブ管理体制を構築、日系企業のニーズ確認、経済効果等を検討し、名護市をキャプティブドミサイルとする具体的提言を行った。

結果的に、キャプティブ保険会社を名護市で設立できるようにする活動は法律要件の未整備等もあり実を結ばなかった。しかしながら名護市には特区ができ、現在「経済金融活性化特別特区」として運用されている。

筆者はこの活動で、日本の保険業界を取り巻く既得権益の構造、日本企業の体質を目の当たりにした。この経験が、2008年以降のミクロネシア連邦でのキャプティブドミサイル開発につながることとなった。

2.ミクロネシア連邦のキャプティブドミサイルとしての整備

2008年11月、筆者はキャプティブセミナーを東京で開催し、ミクロネシア連邦、バミューダ、ハワイ、ドバイの専門家を招き、各ドミサイルの案内を行った。この中で、最も参加者の興味を引いたのがミクロネシア連邦であり、セミナー後ミクロネシア連邦に関する問い合わせも多かった。この後、筆者はミクロネシア連邦をキャプティブドミサイルとして発展させることに注力することとなる

ミクロネシア連邦は、太平洋西部に位置し赤道のすぐ北を東西2,500キロにわたって広がるヤップ、チューク、ポンペイおよびコスラエの4島の州と607の小さな島々の連邦国家である。国の人口11万人、首都はポンペイ島のパリキールである。

日本との関係は、1920年から1945年まで国際連盟の委任により日本がミクロネシア連邦を委任統治していた。この期間、先住民が約40,000人であったのに対し、日本人居住者は、85,000人を超えていたといわれている。現在も国民の2割は日系であり、親日的な国家である。

2005年ミクロネシア連邦はキャプティブ関連法を整備し、日系企業のキャプティブ誘致に乗り出した。ミクロネシア連邦は、日系企業が設立したキャプティブからの税収に期待していた。しかしながら、2008年までミクロネシア連邦にキャプティブを設立した企業はなかった。

筆者にも2006年ごろ当時の担当大臣から面談依頼があり、「どうすれば、ミクロネシア連邦に日系企業がキャプティブを設立してくれるか」との質問があった。筆者からは、キャプティブに対する日系企業の考え方と保険会社の考え方、沖縄名護市での経験、バミューダ、米国バーモント州・ハワイ州他のキャプティブドミサイルの発展の経緯を説明し、最も重要なのはキャプティブインフラの整備だと強調した

キャプティブインフラとは、キャプティブ保険会社の運営に必要なサービス機能で、キャプティブマネージャー、監査法人、弁護士、銀行などである。「これらの整備を行わないと日系企業は安心してキャプティブを作れない」と説明した。大臣は理解を示し、お互いミクロネシア連邦のキャプティブ産業の発展に尽力することになる。

その後、彼はミクロネシア連邦の大統領になった。

筆者は、2009年ミクロネシア連邦に弊グループ最初のキャプティブマネジメント会社であるMicronesia Insurance Management Company (MIMC)を設立し、キャプティブマネジメント業を開始、日系企業のキャプティブ設立に注力した。また、ミクロネシア連邦キャプティブ保険協会を設立し初代会長に就任した。

筆者はそれまでバミューダ、ケイマン、米国バーモント州、ハワイ州、ルクセンブルク、ガーンジー、マン島、アイルランド(ダブリン)、シンガポール、ラブアン、ドバイ等のキャプティブドミサイルを訪問し調査を行ってきた。これらの経験が、ミクロネシア連邦のキャプティブインフラ開発に大いに役立つこととなった。

幸いにも、2009年ミクロネシア連邦に最初の日系キャプティブが誕生した。その後も制度整備・誘致活動が続き、2020年末時点で日系キャプティブ数は24社になった。2020年末時点で全世界における日系キャプティブ数は145社と推定されるので、ミクロネシア連邦における日系キャプティブ数の全日系キャプティブ数に対する割合は17%(24/145)にのぼっている。

なお日系キャプティブ数トップ3ドミサイルは、ハワイ(47社)、バミューダ(26社)、ミクロネシア連邦(24社)で、3ドミサイルで全日系キャプティブ数の67%を占めている(「世界のドミサイル別キャプティブ数」参照)。

3.キャプティブセミナーの開催

日系保険会社を退職し2000年7月にSinser Japanの日本代表となった筆者は、キャプティブセミナーを開催することでキャプティブ営業を促進しようとした。その内容は下記だが、当時どのドミサイル、どの話題に日系企業の関心があったかがうかがえる。

2000年11月 キャプティブセミナー

筆者は、「キャプティブ保険会社」(原題:Captive Insurance Companies)の著者、Paul Baucutt(ポール・バウカット)氏とその日本語翻訳者の日吉信弘氏をメインスピーカーに招いてセミナーを開催した。

Captive Insurance Companies 」は1982年に英国で出版され、当時キャプティブについてのまとまった書籍はこれしかなかった。1984年バミューダを初めて訪れたが、その前にロンドンでPaul Baucutt氏を訪問し、「Captive Insurance Companies」の内容について質問し、交流を深めた。Baucutt氏は2000年当時Sinserの顧問も務めておりこのような経緯もあったので、日系保険会社を辞めて独立した最初のキャプティブセミナーに彼を招き、キャプティブの実務について講演をお願いした。

2001年11月キャプティブセミナー

ガーンジー、ラブアン、ハワイ、グアムの各キャプティブドミサイルから専門家を招き各ドミサイルを紹介した。

2002年11月キャプティブセミナー

ERM(Enterprise Risk Management)ツールとしてのキャプティブの活用方法保護セルキャプティブ(PCC)の紹介を行った。

2006年9月キャプティブセミナー

日本企業のキャプティブの歴史と現状について解説。ハワイ、ガーンジー、スウェーデンから専門家を招いて各ドミサイルについて説明した。

2008年11月キャプティブセミナー

ミクロネシア連邦、バミューダ、ハワイ、ドバイの専門家を招き、各ドミサイルについて説明。この中で、最も参加者の興味を引いたのが、ミクロネシア連邦であった。

2009年11月キャプティブセミナー

ミクロネシア連邦に特化したセミナー

2011年11月キャプティブセミナー

ミクロネシア連邦に特化したセミナー

2012年5月キャプティブセミナー 

ミクロネシア連邦に特化したセミナー

この後、筆者は日系キャプティブのミクロネシア連邦でのキャプティブマネジメントに注力することとなった。その後、2018年ハワイに、2019年シンガポールにそれぞれキャプティブマネジメント会社を設立し、フォーサイトグループのキャプティブマネジメント会社も3社となった。現在、グループの人材も充実してきたので、セミナー等を開催すると同時に、企業にとって有益な情報の発信をさらに積極的に行っていきたい。

4.キャプティブの発展(2000年~現在)

2000年

経済協力開発機構(OECD)によってキャプティブ・ドミサイルに対する初めてのブラックリストが作成された。その後、国際通貨基金(IMF)等によりブラックリスト国に対する継続的な評価が行われ、規制が強化された。

2001年

世界貿易センタービルへのテロ攻撃により、再保険キャパシティは大きな影響を受けた。米国では、連邦政府が資金提供するテロ・カバー(TRIA)が設立され、多くの企業がキャプティブを利用してTRIAにアクセスするようになった。

2002年

米国政府は、テロによる損失に対して1,000億ドルの保証制度を設定するテロリスク保険法(TRIA)を制定した。同保証制度には保険会社(キャプティブを含む)のみが加入できるため、一部のオーナーはTRIAにアクセスするためにのみキャプティブを設立したが、多くは従来のリスクを追加投入して本格的なキャプティブに発展した。

2004年

2004年~2005年にかけてフロリダに上陸した4つのハリケーンおよびハリケーン・カトリーナが再保険のキャパシティに大きな影響を及ぼした。保険料率が急上昇し、多くのキャプティブが設立された。

International Center for Captive Insurance Education(ICCIE=アイシー)がバーモント州でトレーニング・プログラムを開始し、2017年時点で450人の卒業生と1,200人のパイプラインを持つ最大のキャプティブ保険トレーニング・プログラムとなった。

2007年

保護セルキャプティブ(PCC)内に作られたセルの数の推定値が初めて見積もられ、その数は1,700個であったが、実際には数千個あったことが後に判明した。

2008年

多くの非営利の病院組織が所有する医療過誤保険キャプティブが、リスク保有グループ(RRG)形式のレシプロカル取引を利用した。それは、従来のRRGやオフショアに設立された再保険キャプティブの仕組みよりも優れていた。

サブプライム危機が金融市場を混乱に陥れたが、保険会社は比較的無傷であった。その中でAIGだけは、保険事業が堅調であったにも拘らず金融保証事業によるCredit Default Swap (CDS) 取引の失敗によって破綻の危機に陥り、一時的に公的資金による救済策が適用されて同社の評判は著しく低下した。

2009年

Coca-Cola社は、米国以外の英国、アイルランド、ドイツ、カナダにおける退職後給付金をキャプティブに出再した最初の会社となった。 バミューダが特別目的保険会社(SPI)の設立をクラス3として認可し始めた。2015年までにSPIは75〜80社となり、それらは主に保険期間を短期としたサイドカーまたは独立型の自然災害専門再保険会社として設立された。また、SPIの典型的なオーナーはヘッジファンドであった。

2010年

Patient Protection and Affordable Care Act (「アフォーダブル・ケア法」と称される)が成立し、医療法人グループが統合されたことにより独立した医師が減少するにつれ、ヘルスケア・キャプティブが大幅に増加した。

2012年

Coca-Cola社は、米国内の退職後給付金をキャプティブに出再するための認可を求め、 2016年にようやく認可された。

2013年

ニューヨーク州の保険長官およびThe New York Times紙によって、キャプティブは「影の産業」として攻撃された。主な対象は生命保険の「トリプルXキャプティブ」に対するものだったが、あらゆる種類のキャプティブが巻き込まれた。

2015年

OECDは、税源浸食と利益移転(BEPS)の攻撃対象にキャプティブを加え始めた。ロイヤルティや知的財産権等による巨額利益をルクセンブルクやバミューダなどの非課税地域に貯め込むための巧妙な仕組みは国際的に広まり、StarbucksGoogle等の有名企業が関係していた。

831(b)キャプティブに関するルールが変更され、収入保険料の上限額は120万ドルから220万ドルに引き上げられたが、831(b)を選択できる親会社の定義が厳格になったことから関心は低下し、 2015年に新規設立されたマイクロ・キャプティブの数は減少した。

2016年

トランプ大統領の登場により米国の連邦税が21%となり、日系企業にとってキャプティブドミサイとしてのハワイの魅力が増大、日系キャプティブのハワイでの設立がブームとなった。

米国の医療制度改革(「オバマケア」と呼ばれる)が大規模な医療提供者の統合を促進したことにより、病院の所有するキャプティブ数は減少したが規模が大きくなった。

2018年

ハワイに弊グループ2番目のマネジメント会社 Transpacific Risk Managementを設立した。

2019年

シンガポールに弊グループ3番目のマネジメント会社 Foresight LIMSL Singapore を設立した。


[結び]

最後まで、私の拙い「キャプティブの歴史と私」をお読みいただき、ありがとうございました。コロナの状況下、企業のコスト削減要求は高まっており、またコロナという想定外のリスクの発生を経験し、企業のリスクマネジメント強化が課題となっています。これらの課題の解決策としてキャプティブを検討している企業も多くなっています。

また、最近我々に対する「企業の適正保有額の算定」の相談が増えています。これは、財務体力のある企業が保険会社の保険に頼ることなく、できるだけリスクを自家保有する動きを示すものです。リスク量を算定し、そのリスク量を自社で保有できれば、保険は必要なくなります。キャプティブは自家保有と保険の組み合わせなので、今後キャプティブの活用がさらに加速されると思います。

我々も皆様とともに、企業のリスクマネジメント力強化に尽力いたします。今後とも宜しくお願い申し上げます。